教育

個を犠牲にしてまで集団を維持するのは間違っている

投稿日:

「みんなと同じ」「みんなができる」ことほど気持ち悪いことはありません。
しかし、多くの人は「みんなと同じ」平均的な日本人でありたいと思っています。
そんなにみんなと同じになりたいのでしょうか?
優先すべきは、集団よりも個です。
どんな形であっても、個が主であり、集団は副です。
個を犠牲にしてまで集団を維持するのは間違っています。
組織というのは妥協の集団です。
集団からはみ出すものをよしとしない場が学校ですから、担任という人種はそういうものです。
これは学校だけではなく、職場、地域集団、サークル活動、私的なグループすべての集団にいえることです。
個が最大に尊重されてこそ価値があります。
個として堂々と自己主張し、一人で行動することを恐れる必要はありません。
「みんなができていること」を標準、「進学ありき」をよしとする考え方も間違っています。
「高学歴だと、能力が高くなる」というのも偏った評価です。
そもそも一定のものさしで枠にはめ込むという考え方から間違っています。
学歴の価値は、その程度です。
根本的に、教育を見直す必要があります。
多くの人は社会の「枠」の中に閉じ込められていますが、それに気づかないか我慢を強いられながら生きています。
私には、「社会の一員になる」ために、我慢や妥協しながら自己を殺しているようにしか見えません。
社会の中に歯車としての個が存在するのではなく、主体的な個が集まった形が社会です。
そう考えたら、世の中の仕組みの見え方が変わります。生き方も変わります。
将来のために今を我慢する必要はありません。
今を生きることが、「結果として」未来につながっていくのですから。
まるで村八分のような学校の「クラス」は、もういらない

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

「ひきこもりからの回復」とはどのような姿をいうのか?

「ひきこもりからの回復」とはどのような姿をいうのか? 目を通してみると整理できると思います。 ・親が考え方、受け止め方を変えること ・一喜一憂しない、未来に希望を持つ ・第3者の存在の重要性 ・心身の …

摩訶不思議な「学校現場のホンネの話」を聞きたくないですか?

最近どういうわけか教員時代の夢を見ることがある。 それも毎回出てくるのは教室の風景ばかり。 自分では、ごくごく普通の平凡な教員だと思っていた。 まわり(管理職や教育委員会)がどう見ているかは別として、 …

日本人に必要なのは英語ではなく日本人力

「日本人の9割に英語はいらない」 小学校の英語教育に全く意味はない! その前に必要なのは、中学高校の英語の改革である。 ・日本人の9割に英語はいらない ・英語ができても、バカはバカ。 ・社内公用語化、 …

教科書の採択結果に納得できない市民や教員たちが反発

教育委員会制度の閉鎖性が一番の問題なのですが、私たちの教育に対する無関心がそうさせているといってもいいです。 だから意見も出ないし議論も深まらない。 まとまるはずもないので、決まりきったことを確認する …

「子どもの学ぶ権利を保証するという」というのが本来の義務教育の形

文部科学省の定義では、学校を年間30日以上休んだ場合「不登校」と呼ばれます。 しかし、それは学びのスタイルと違うということではありません。 これまで何度も言ってきましたが、学校行く行かないで定義するこ …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料