教育

こうすれば教員も「行き過ぎた指導」をしなくてもよくなる

投稿日:2017年10月17日 更新日:

福井の中学校の事件の背景には「学校信仰」「学校宗教」があります。
進学や就職というたった一本のレールの上に置かれて、そこから外れることが許されない。学校に行くことを強制され、教員の命令に従わされ、意見が言えない。
教員もそれに合わせることしかできない、上からの命令に従うことしかできないために、生徒をみんな同じにしようとして叱責や罰を与えるという「指導」しかできない。
教育委員会も校長も担任も「学校信仰」に縛られています。
いいかげんに「学校信仰」「学校宗教」から目を覚ますべきにも書きましたが、学校でも、家でも、フリースクールでも、図書館でもどこでも、自分ががいたい、学びたいところ、居てもいいところへ行ってもいいっていう、みんなの認識があれば、このようなことは発生しないのではないかと思う。
いわゆる学校に行っている「普通の子」とそうでない子の差別的な見方や偏見がなくなって、もっと一人ひとりの多様性が認められて、もっと個の自由が尊重される社会であったなら、学校だけに限定されて無理にそこに合わせることもない。
そうすれば、「無理な指導」によって子どもが追い込まれることもなくなり、教員も「行き過ぎた指導」をしなくてもよくなる。
学校だけに限定しなければ生徒も教員も苦しまなくていい。
そうなれば、どれだけ子どもたちも親も教員もみんなの心が暖かくなるだろうと思います。
「みんな違ってみんないい」って学校では教えているのに、いっていることとやっていることが矛盾しています。みんな同じになるように「行き過ぎた指導」がされるのです。
その矛盾を子どもたちは肌で感じながら毎日学校生活を送っているのです。
だから大人を信じることができなくなているのです。
大人を信じることができないから、本当に言いたいこと訴えたいことを隠して平然としている振りをするしかないのです。
自分の人生は自分で選ぶ、何をするかも自由に決めで自分らしく歩いていく。
そのどれを選ぶかは子ども自身が持っている権利です。
その権利をみんなが認め、個の生き方を尊重すること。
それが「学校信仰」から解放されるということです。

学校は何のためにあるのか?

学校は何のため、誰のためにあるのか?
学校は何をするところなのか?
みんながそれを忘れてしまっています。
みんながたった一本の狭いせまい「普通の道」を通らせることに必至になって、狭い範囲のウソの学力で評価することが目的になっています。
それをおかしいと思いながら、ただ与えられたことをこなしているのです。
今の学校はまるでロボットを組み立てる「作業場」です。
みんな、いいかげんに目を覚まそうよ!
いいかげんに「学校信仰」「学校宗教」から目を覚ますべき

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

親にできることは我慢させることではなく、子どもの選択権を奪わないこと

幡野さんとまったく同意見です。 「これ買って」と子どもに言われたら、買った方がいい。 「これやりたい」と言われたら、なんでもやらせた方がいい。 「やりたくない」と言われたら、無理してやらせなくてもいい …

発達障害と不登校体験のお父さんの物語

発達障害の理解のなさから、「問題行動」「怠けてる」とレッテルを貼られ、「努力が足りない」と努力しても成果が出ない絶望の中で苦しむ子どもたちに、今私たち大人ができることはなにか? そんな問いかけや気づき …

発達性読み書き障害の息子のことどうしていますか?(漫画)

必要な子に必要なことをするのは特別なことではなく、当たり前のことなんです。 好きなことやできることで自信を持ち個に応じたやり方なら、できるようになります。 このページは漫画で読めます。 うちの子は字が …

学校の先生はつまらない仕事なのか?それは個々の感じ方次第

学校の先生の仕事はおもしろいのか、つまらないものなのか。東京デザインウィーク2015の中で行われたトークイベント「ソクラテスカフェ」でキングコングの西野亮廣(キンコン西野)が会場の参加者と話し合ってい …

梅田明日佳くんの「ボクの自学ノート」が静かに僕を励まし続けてくれる

子どもの考える力ややりたいことを意欲的な学びを保障することよりも、“みんなが同じ”であることを重視するなんとも不思議な文化が日本の教育現場にあります。 園でも学校でも子どもたちが、皆一列に並んで教室に …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料