情報が共有されないどころか、いじめが見逃され放置されている。対応がなされない。
今回も防ぐことができた自殺、ではなく教育関係者による「他殺」だという認識をすべきだ。
「学校とはいじめを生みやすい環境である」ことを強く認識すべきだ。学校での成績や人間関係が人生のすべてではないが、学校というところにはそれがすべてであるかのような「魔術」にかけられてしまう。
「魔術」にかけられるのは子どもだけでなく、教員も教育委員会も。さらに彼らは魔術にかかっていることに気づかない。だから厄介なのだ。
現場の教員や関係者の本質的な理解が間違っている。「防止法」がまったく機能していない。
小手先やその場逃れのことを繰り返しても「他殺」を減らすことは不可能である。
抜本的な改革が必要だが、私たちのできることは、学校以外の安心できる場と学校の外に「助けて!」と言える関係を作ることです。
仙台市立中2年の男子生徒(13)の自殺を巡り、市教育委員会が29日に開いた記者会見で、校内で実施したアンケートに「集団いじめ」の存在を示した記述があったにもかかわらず、学校側が把握していなかった可能性が浮上した。情報が生かされず、生徒は絶望の中で死を選んだとみられる。
文部科学省のいじめの定義
2013年9月に成立したいじめ防止対策推進法2条1項は、いじめの定義について、次のように定めています。
「この法律において『いじめ』とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」
たった30人程度のクラスで、気付かぬほどの速さで「1軍」「2軍」「3軍」と身分が決まっていき、序列の中で卒業まで生きなければならない。序列は容姿、キャラ、得意の運動、頭の良さ、家庭のお金持ち具合など様々な要素で決まる。
一度スクールカーストが出来上がれば、どんなに不本意でも、どんなに努力をしても、卒業まで自力で変えることは難しい。
1軍生徒は、大人しい3軍生徒に対して威圧的な態度で接し、過激な「いじり」で笑いを取り続けることで上位生徒としての地位を保たなければならない。
生徒が背負うスクールカーストの中では「誰かが誰かを傷つけることで『笑い』や『楽しさ』が生まれる」という現実がある。
絶望的ないじめの本質を認めた上で、この問題と向き合う必要があります。
「いじめは楽しい」だから笑顔で行われる。