いじめの対応が不十分のまま子どもの自殺は続いています。
「いじめはどこでも起こりうる」という根本的な考え方が間違っています。
「どこでも起こりうる」ということで、「いじめは起こって当然」のごとく言われ多くの教育現場では責任逃れをしています。
さらにいじめと自殺の因果関係が確定してからも言い訳がまかり通ってしまう体制が続いている状況では、これからもいじめ自殺がなくなることはありません。
「「いじめは絶対に許さない!」という強い意志で「学校制度そのもの」を改革していくことが急務です。
学校現場での競争社会、強制主義、勝ち負けの評価など、改革すべきことは山ほどあるのに、それを見てみぬふり、手をつけることさえしていない教育行政そのものにメスを入れていく必要があります。
「家庭環境が悪い」「親の育て方が悪い」など原因は家庭や親、自己責任だという者もいますが、いじめは学校現場、学校環境下での子どもの関係性で起こっていることは事実です。
「わが子のようなことは二度と起こしてはならない」という保護者の痛切な訴えが何度も何度もあるにも関わらず、同じ事件が繰り返されています。
教育行政の隠蔽体質の改革、教育委員会を含めた無関心、無責任体質を変えていく必要があります。
このような考え方や教育現場での責任の取り方を改めない限り、同じような事件は今日も続いていきます。
学校や教育委員会は、「いじめ防止保護法」を作って終わり、「アンケートをしたこと」にして終わり、「いじめ対策委員会」を作っっただけで終わり。
彼らは責任をとるということがどういう意味をもっているのか全く理解していません。
本気で「いじめをなくす」という覚悟がありません。
問題を直視しないどころか、見てみぬふりをしている、こんな者たちが教育の現場に存在していることが大きな問題です。
私もいじめが原因で不登校になった中学生の相談を受けたことがあります。
学校長とも直接交渉したのですが、加害者側の擁護に徹していた感が否めませんでした。
事実関係の詳細は一切明らかにされませんでしたので、保護者が立ち上がって子どもたちを守りました。
いじめの加害者を罰するというのも方法としてはありですが、現状ではそれはできない仕組みになっています。
その背景にある競争原理、勝利至上主義に基づく制度そのものを変えない限り「いじめはどこでも起こりうる」のです。
「いじめが起こりうる」仕組みになっているのが今の学校なんです。
みんな仲良くとか一人ひとりを大切にとか人権教育の推進といっている一方で、子どもたちに偏った競争を強いているっておかしくないですか?
それならそれで共同学習や個別指導など学習方法はいろいろあるのですが、依然として一斉指導とテストのできだけで子どもを評価しているのが学校というところです。
絶対評価も導入されていますが、実際には他者と比べた相対評価で子どもを競争させることになっています。
本来なら個別の支援が必要なのですが、具体的な指導法が欠けていて、「勉強をもっと頑張れ」という根性論がいまだに根強いです。
学校としても対応ができないことについても立場上「できない」といえないので、自体はますます拙い方向に向いていきます。
できないことは「できない」、分からないことは「教えてください」という姿勢が必要なのに、です。
現状では当事者が訴え続け、保護者間で連帯しながら自分たちの子どもは自分たちで守っていくしかありません。
こんな学校になんか絶対に子どもたちを行かせてはなりません!
こんな者たちが行政を担当しているとは?
もういいかげんにしてもらいたい!
「知りたいのはいじめ隠蔽の仕組み」
いじめは学校現場、学校環境下での子どもの関係性で起こっているのです!
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執筆者:azbooks