暮らし

私たちの中学時代は枠の中にはめられているという感じではなく、みんな勝手に自由に動き学んでいた

投稿日:2019年8月13日 更新日:

昨日は中学校の同窓会でした。
懐かしい友との再会で楽しい時間があっという間に終わりましたが、いろいろと感じることがありました。
当時の子どもも大人も多様だった。敢えて多様性という言葉を使わなくても、皆が好き勝手なことをしてお互いにそれを認めていた。みんな当時の好き勝手が未だに続いている。写真一枚撮るにもまったくまとまらない。それがいいのだ。
特別支援教育なんてものはなかった。でも生徒同士お互いが得意を評価し苦手なところはフォローし合っていた。
「みんな仲良く」とか「友情」「協力」などいうスローガンも教室に掲げてあったかもしれないが、そんなこと意識することなくどうでもよくて、学校生活の中でお互いが気持ちよくなるように自然と誰かが動いていた。
もちろん校則もあったが当時はたいして問題とは思ってなくてみんな適当にスルーしてほんといいかげんだったと思う。罰則もあったが、それすら結構楽しんでいた。昨日もその話で盛り上がった。思うに、校則という規則はあったが最終的には自分たちで納得できるルールになっていたようだ。
勉強の面では、当時の中学校は「自主協同学習」といって、授業は生徒が予習してきた内容を発表するスタイルで授業前にはそれを板書するために黒板が取り合いになった。学び合いなんて教えられなかったけど明日の授業で友達が調べていない誰も知らないことを見つけるのが楽しくて勉強していた。先生は生徒の発表を聞いて最後にまとめるだけ。当時は先生というのは随分楽だなあとすら感じていた。
このように、中学時代は枠の中にはめられているという感じではなく、みんな好き勝手に自由に動き学んでいた。バレなきゃいいと校則違反もしでかした。
多分自分の周りだけがそうだったのではないと思う。
今よりもはるかに自由度は大きかったし、一人ひとりが主体的に動き回っていた。
しかし、今はどうか。
特別支援教育、同和教育、道徳教育、生徒指導が進められてきた。インクルーシブ教育という言葉もよく耳にするようになった。多様性を認めよう、個に応じた支援云々。
私たちの子どものころにはなかった教育のスタイルが登場してきた。しかし、実情はどうだろうか?
形としてのシステムはできたが、肝心の中身が抜けてはいないだろうか?
そして○○教育の評価はどうだろう?
させられる○○教育、しなければならない○○教育、人と人とがお互いに気持ちよく暮らすことが目的ではなく、与えられた○○教育を義務でこなすことが目的になってはいないだろうか?○○教育によって目茶苦茶窮屈になってないだろうか?
その結果、個の自由が奪われ主体性が失われ、自分の頭で考えて判断できない人間が育っているのではないか?
そして個人メディアの発達によって知らなくてもいい情報まで入って来る。情報が多いのは悪いことではないが、本当にちょっとしたこと、どうでもいいことがどんどん増大して拡散していく。それによる不安も増大していく。まるで国民総監視社会になってしまった感じがする。
「これからもみんな好き勝手やらーで」と言って同窓会を解散しました。

もっと子どもの自由が認めらる、子どもに任せる場を創る

私自身は本来自由勝手に生きてきましたが、環境にも恵まれたと思います(笑)
同級生というのは何のしがらみもなく、 おっさんおばさんになっても10代のころと変わりなくフラットな関係なのがいいですね。
今の学校は子どもにとっても教員にとっても本当に窮屈な場になっています。そこに我慢を強いられて通う子どもたちは不幸だと思います。
私から見たらみんなよく耐えて頑張っているなと思います。
「学校が辛ければ行かなくていい」というのは簡単なんですが、それだけでは無責任。行かなければ行かないで辛いんですよね。
そして学校以外の場に行くことも選択肢としてありなんですが、やはり学校自体が変わらなければダメだと思います。
もっと子どもの自由が認めらる、子どもに任せる場に変えていきたいです。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-暮らし

執筆者:

関連記事

2025年のテーマは現状維持、だが興味、好奇心が拡大することは止めない

2025年のテーマは現状維持 どうにかなる 自分からは積極的に働きかけない、仕掛けない 新しいことはチャレンジしないが、自然発生的に興味、好奇心が拡大することは止めない。 ただし、がんばらない 無理し …

「無所属期間」は「空白期間」ではない、「無所属」でいることにも意味がある

自分も年度末に教員を早期退職して起業するまでは「無所属」の期間がありました。 生まれて初めてどこにも所属しない期間を経験しました。 そのときに考えていたことは、「自分の意思でなく、させられて生かされる …

本田秀夫さんの講演会「改めて『発達障がい』とは何か考える」

本田秀夫さんの講演会が一般公開されています。 ・社会は変わってきているのに、義務教育期間の小中学校は元の状態に戻そうとしている。 ・環境や子どもへの関わり方、対応を変えることが重要なのに、依然として子 …

「私は私を信じます。私は息子を信じます」みいゆ母ちゃんありがとう!

兵庫県で「Hugくむ」という、こころゆるゆるホッとな居場所を創っているみいゆさんの「息子は大丈夫です!と言えた日。」という日記を紹介します。 「私は私を信じます(^_^)v」 「私は息子を信じます(^ …

自分と相手の思いはイコールではない、だから共有できる部分だけでいい

「自分の思いを伝えたい」という思いが強すぎると相手にとっては押し付けられたように感じることがあります。 一生懸命であればあるほどそれに気づかないことがあります。 私も勝手に「相手のためになるだろう」と …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料