文部科学省が26日に結果を公表した2016年度の問題行動・不登校調査で、小学校ではいじめの認知件数だけでなく、暴力行為件数と不登校の児童数も過去最多となった。いずれも低年齢化が進んでいる。学校現場からは感情を抑える力やコミュニケーション能力が低下し、児童同士のトラブルが急増していると指摘する声が上がっている。
ある校長は「感情をコントロールできず、言葉よりも先に手が出てしまう児童が増えた。児童同士の小競り合いは毎日のように起きている」という。多分多くの学校関係者はそう考えていると思います。
しかしこれは違います。この校長は児童個々に問題があるといっていますが、まったく逆です。
相手の言動に対して言語化して対応ができないためにそれを伝えるために暴力という手段を使っているんです。
さらに、「児童間のトラブルはそのほとんどが学校で起きている」ことに注目する必要があります。
つまり、学校において人間関係を作ったりコミュニケーション能力を育てたりすることができていないということです。
人は論理で立ち向かえないと他の手段で向かうしかありません。だから子どもたちは暴力で表現するしかないんです。
この校長、「感情をコントロールする」とは何か分かっているのでしょうか?
それは、親や教員の都合のいいように合わせることではありません。
親や教員の言われるままに従って、自分の感情を抑えて集団の意向やその場に合わせることではありません。
生まれた瞬間から自分の感情を勝手にコントロールさせられて、親や教員から「与えられた感情」「期待される感情」を教え込まれてそれに合わないことを叱責される。さらに言語表現できない場合はどうなるか?
そこまで理解している発言ではありませんね。
「子どもが変わってきた、子どもが大変だ」という世の論調も同じです。
そうさせているのは誰なのか、そこが欠けています。
これが、これまでの学校教育の結果です。
だとしたら、学校が何をしなければいけないのか?
それは、「学校の論理」で子どもたちに強制しないこと。ひとつの答を覚える学習ではなく、考える過程を重視しそれを評価すること。自分で考え他者に伝えられる力、言語によるコミュニケーション能力を育てることです。
そのためには、教員の目的意識、児童観、学習観、評価観を変えていく必要があります。
子どもだけではなく、教員も学校内や教育委員会に対して自分の考えや意見が言えているのか?
それができない関係性や環境ではコミュニケーション能力を育てることはできません。そうなったら他の手段で訴えるか自分を抑えて我慢するしかありません。
こういった見方が重要なんです。
これを個人の問題としている限り、何も変わりません。
つまり、学校では人間関係作りやコミュニケーション能力は育っていない。
「学校に行かないと人間関係が作れない」という人がいますが、学校外の方がそのような力は身につくのです。
これが学校に行かなくてもいいひとつの理由です。
小学生暴力最多 10年で6倍 感情抑えられず