わかる、わかる。
「くだらない校則」で辛い思いをした「私なりの反抗」をしたのも、すごくよくわかる。
「ルールなんだから」って意味がわかりませんね。
一方的に「規則だから」っていわれると、余計に守りたくなくなります。
わざと破りたくなります。
おかしな校則やルールって、誰のために何のためにあるの?
小学校は友達とゲームをして遊んだり、楽しい毎日だった。
でも、どこかに出かければ「あっ!外人!」と指をさされ、ジロジロ見られることがとても嫌だった。
人がたくさんいる場所で家族が英語で話していると、周りがすごく見てくるので「なんで英語話すの!恥ずかしい!」と怒ることもあった。
私もみんなと同じような外見だったらどこに行ってもジロジロ見られないし、「外人」と言われなくなる。なんで私だけこんなに見た目が違うのだろうと、考えることが多かった。
私は日本の学校に通った外国人。「黒髪ストレート」の校則と立ち向かった話
やりたくないと思っていても、「みんながやっているから」やっているのはなぜ?
学校へ行く理由って何だと思いますか?
自分で行きたいと思って行っている子どもってどれくらいいるのだろう?
仕事をする理由って何だと思いますか?
自分でその仕事がやりたいと思ってやっている人ってどれくらいいるのだろう?
「自由に自分の好きなことをしていいよ」って言われても学校に行ったり今の仕事をしたりする人はどのくらいいるだろうか?
多分、それでも学校に行ったり今の仕事をしたりする人も結構いるんじゃないかなあ。
自分が解決したいと思っていないのに「みんながやっているから」という理由でやっている人って結構いるんじゃないかなあ。
みんなが同じ時間に学校や職場に行って、決められたことをやって、同じ時間に帰ってくる。
これも「みんながやっているから」という理由が結構多いと思う。
やりたくないと思っていても、「みんながやっているから」やっていることって結構多いと思う。
学校にはみんなが行っているから行くと安心する。
職場にもみんなが行っているから行くと安心する。
多くの人がが「みんなと同じ」を好むのは、みんなと一緒という安心感があるからです。
自分一人だけが違ったことをすると変な目で見られるし、それでもし失敗したら責任を求められる。でもみんなと同じことをするのであればそういう責任を取らされることもないし、変な目で見られる心配もしなくていい。
このように「みんながやっているから」って、結構説得力がある理由になっていると思います。
「みんながやってるから」を理由にするのは、安心感を得るためであると同時に、自分でとことん考えて物事を判断する能力が欠けている、またはそれをすることから逃げているともいえます。
なんで大人になると働くの?
それはね。「みんながやっているから」だよ。
どうですか。一番スッキリ納得ができる答えだと思いませんか。
「みんなやってるから」という理由づけは確かに楽なんですよ。
「やらせる」側にとっても、それだけで済ますことができるし、「やらされている」側も「なんとなく」自分を納得させられます。
なんで子どもは学校へ行って時間割通り勉強しているのか?
それは自分がやりたいことでも自分が決めたことでもないのに、どうしてやっているの?
それは、みんながやっているから。
そういうもんだから。
学校とはそういうところだからって、結構説得力があるような気がしませんか。
ホントはそうじゃないんだけど、妙に納得できると思いませんか。
だから、多くの人は「そういうもんだ」と自分で自分を説得させているような気がします。
それは自分がやりたいことでも自分が決めたことでもないのに、どうしてやっているの?
それは、みんながやっているから。
そういうもんだから。
仕事とはそういうところだからって、結構説得力があるような気がする。
でも、「なぜ、そういうもんなの?」
という疑問を持ったとしても、「みんながやっているから」としかいえない。
「なぜ?」を追求することを考えない方が楽だからです。
みんながやっているから?みんなと同じだから?
「みんながやっているから」という理由でやっている人って結構いるんじゃないかなあ。
あれ、おかしいいなと思っていても、「みんなと同じだから」という理由で安心している人って結構いると思う。
みんなが同じ時間に学校や職場に行って、決められたことをやって、同じ時間に帰ってくる。
これも「みんながやっているから」「みんなと同じだから安心」という理由が結構多いと思う。
やりたくないと思っていても、「みんながやっているから」やっていることって結構多いと思う。
学校にはみんなが行っているから行くと安心する。
職場にもみんなが行っているから行くと安心する。
「みんなと同じだから」で安心する。
「みんなと同じにすること」が平等だと思っている。
「みんなに合わせること」が安心だと思っている。
だから、「みんなとちがっている」と気になる、不安になる。
「みんなとちがっている」と変な目で見られる、差別の対象になる。
だから、「みんなとちがっている」と「みんなと同じにする」ことを求める。
「みんながやっているから」「みんなと同じだから」って、結構説得力がある理由かもしれない。
みんなと同じじゃなくてもいいのに、みんなとちがっていてもいいのに。
やっぱり、みんなとちがっていることを認めないほうが絶対におかしいです。
集団の中では、みんなと同じであることを求められ、それに合わせられない者が排除の対象になっています。それをみんなが黙認していることが問題です。
私は強制されることがだいっきらいなので、特にそう感じています。
組織や集団であっても、個の考え方を尊重するのが先であって、一致する部分だけ揃えたらいいんです。
目的が一致したことに力を合わせたらいいんですよ。
行列ができているお店のラーメンのほうがおいしいという「バンドワゴン効果」
子どもがゲームやおもちゃ、スマホなどを親にせがむときも「みんなが持ってるから」という理由付けはよく使う手です。
このように「みんなが使ってるなら安心」「流行ってるものが欲しくなる」という心理を与える効果を行動心理学で「バンドワゴン効果」というそうです。「みんながやっていることなら正しい」と思わせる効果です。
日本人は特に流行ものに弱いので、そう考える傾向が強いです。
にんなに合わせたらいいので、何も考えなくていいから楽なんです。
今、SNSも流行っていますが、これも「みんながやっているから」、自分の判断の基準が「自分がやりたいから」よりも「みんながやっているから」の方に重きを置いています。
自分は一口も食べていないのに「行列ができているお店のラーメンのほうがおいしい」と思い込むのも、SNSでいいねが多いから、「誰かがおいしいといっていた。みんなそういってるよ。」だからきっと美味しいんだろう」というのも、「バンドワゴン効果」です。
商品の販売戦略にもよく使われている手法です。
私は「みんなと同じじゃ面白くない、それじゃつまらない、自分じゃないみたいな気がするので、「みんなやってるからあえて違うことをしたい」ので、「自分がやりたいからやる」「流行は追っかけない」主義ですが、「ほんとは自分は何をしたいのか」を考えたらどうかなと思います。「みんなやってるから」という理由以外の「自分なりの理由」を考えてみるのもいいと思います。
「みんな違っていい」といいながら「普通」に支配されて自分を生きていないにも書きましたが、「みんなと同じ」という誰が決めたのかわからない「普通」に縛られて生きています。「普通」とか「標準」とか「基準」とか、誰かが勝手に作った人と人を比較して優劣をつけるものさしなんかに振り回されないで、もっと自由にやりたいことをして生きたらいいんです。
まあ、それも自分自身が決めることなので好きなようにしたらいいと思いますが。
「僕は肌の色がみんなと違うから病気?」ある少年が立ち向かった困難の話