小学校の『ごんぎつね』学習指導案では、授業時間11時間のうち半分以上の6時間が、「いたずらをするごんの気持ちを読み取る」「ごんを撃った兵十とその時のごんの気持ちを読み取る」といった「気持ちの読み取り」に充てられている。いきおい、きつねの栗の置き方を追求するようなマニアックな授業展開とならざるをえない。なぜこんなことになっているのか。
理由の一つは、文科省の小学校学習指導要領にある。3・4年生の国語では、「場面の移り変わりに注意しながら,登場人物の性格や気持ちの変化、情景などについて、叙述を基に想像して読むこと」という項目がある。なるほど『ごんぎつね』は、ここで指定されている「気持ちの変化」を「想像」するのにうってつけの短編だ。5分程度で読める物語の中に、ごんぎつねの気持ちの起承転結がしっかりある。しかし、しつこくきつねの気持ちを考えさせられる子供たちは大変である。
栗の置き方? どうでもいい!
しかし、気持ちの読み取りは、栗の置き方にとどまらない。
「兵十を覗き見ていたときのごんぎつねってただのストーカーじゃん」って思っても授業中にそう答えるわけにはいかないし。
今の時代、ホント便利になったものです。
検索するとどんどん出てきます。
ごんぎつね 指導案1
ごんぎつね 指導案2
「ごんぎつね」で新美南吉は何を伝えたかったか
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日本の国語教育の問題点
国語教科の目的は「他者に自分の意見を伝える」ことです。なのになぜ、学校ではあんな面白くない授業をしているのか?ということですが・・・
日本の国語教育の問題点は山ほどあります。
国語の教科書の音読の目的とは?
何日もずっと同じところを読むことの意義は?
国語でも一般的に「気持ち」を問う授業を繰り返している、道徳でもそれを問う、教科の目的の違いとは?
児童生徒も「~の気持ちを考えるんでしょ。」と今日の課題をすでに知っている、そんな授業で面白いのか?
国語教科の目的とは、言語を使って他者に分かりやすく「伝える力」、問題を解決する方法を「自分で導く力」を身につけること。論理的に、的確に、わかりやすく考えを伝える技術を養うことです。
ひとつの文学作品をダラダラと何時間もかけて学習することで、その力が身につくとは思いません。
国語の意義、国語の面白さはこちらに書きました。
日本の国語・算数・数学教育の問題点をズバリ言います!
ただ感想を発表するだけじゃ国語学習とはいえません。文章をどう読み取り、何を根拠にそう考えられるのか、学びとったことから次の学習にどう組み立てていくか、そのスキルを身につけるのが学習のねらいです。道徳は自己を振り返る場なので、読み取りではなく、自己主張であってもいいです。同時に多様な考え方を認める、他者を尊重する大切さを学ぶ教科でもあり、そこに押しつけや強制力があってはいけません。
自己を見つめ、他者を認め、考え方を揺さぶり、行動につながっていくことが大切です。
これが国語と道徳の大きな違いです。
小学生はなぜごんぎつねの気持ちを考えさせられるのか