人の心は皆それぞれ違うものだ
顔の相には違いがあるように
ところが誰もが同じものだと見なしてしまう
どこでもお互いに相手の是非を決めつける
自分に似ていれば、相手の非をも是とする
自分と違うところは、相手の是も非とする
是はすべておのれの是とするところで決まる
非はすべておのれの非とするところで決まる
是非のよりどこは、始めから自分にあるのだ
しかし、ことわりというものは、もちろんそんなものではない
棹でもって、海の底まで突こうとするようなものだ
ただ、がっくりと疲れ果てるだけだ
人は個人として個性がありそれが尊重されることにより、その人の存在がある。
ところが、自分の考えが正しいと信じ込んで、善意でそれを押し通そうとしている。
このいやな雰囲気に歯止めをかけよないと、ますます世の中が息苦しくなるであろう。
(良寛)
日本人は生まれてから死ぬまで、あたかもたった一本のレールを走り続けることを決められ、学校でも職場でも厳しい競争、経済至上主義の風潮の中で、そこから離脱することを怯えているかのような生き方をしているような気がします。
止まったり振り返ったり、自己を見つめることを許されないと自分を追い込み、世間に流されて生きること戦いを勝ち抜くことだけに価値を与えている日本社会。
身も心も何かに追われ、自分自身を見失いがちな現代。
そんな社会でさえ、笑い飛ばして生きてきた良寛。
良寛は、越後出雲崎に町名主の後継ぎとして育てられましたが、見習いとして始めた仕事は失敗の繰り返しで大きな「挫折」を経験。でも良寛はそれを「挫折」だとは意味づけていません。体験のひとつだという捉え方です。
その後良寛は家出し、厳しい修行を経て僧侶の資格も得ますが住職にはならず、生涯托鉢行脚の乞食僧として過ごしました。
良寛はどんな組織にも所属せず、今の社会でいえばホームレス状態でしたが、お説教はしないし仏教書を書くわけでもなく、ただただ淡々となすべきことをなして「徳の力」を示しました。
「立場や肩書き、名誉、お金などは、本来の自己には何の役にもたたないのだ。」
「自己を認めた時、何ものにも惑わされない「自由な生き方」も自ずと見えてくる。」
と、肩書や立場を嫌い、どこにも所属しないで「個」として自由に生き抜きました。
なんというカッコいい生き方でしょう。こんな生き方をしていきたいものです。