学校が精神医学を染め上げる仕方から、学校の奥深い全体主義の本質と、さらに全体主義そのものの本質を見て取ることができる。
この記事は、「精神医学が学校の色に染め上げられた局面」を例として全体主義の恐ろしさについて書かれています。
この事例は決して特別なことではなく、日常や学校生活の中で「当たり前」のように行われている「異常な実態」を取り上げています。
・精神医学は、学校にあわない人を「病気」や「障害」として扱い、学校に適合するよう操作を加えてきた。
・学校固有の「こうでなければならない・ああでなければならない」を基準点として「こまり」がつくりあげられた。
「学校のものに合わない者」は治療の対象とされ、「学校のもの」に合うように治すという論理ですが、治すべきことは「学校全体主義」です。
学校に来られない子どもを「適応指導」によって治す。みんなと同じ行動ができない子に「発達障害」というレッテルを貼って隔離、排除し、強制訓練や投薬をして治療するというのもそれに当たります。
このようにして、社会の「学校信仰」「学校宗教」が確立されてきたのです。
「学校信仰」によって、学校や社会のシステムに乗れない者、合わない者が排除の対象になってきたのです。
「診断名」がつけられることで安心している親御さんがいるのも確かですが、「診断名」ではなく個々の「困り感」を減らすための具体的な対応の方が重要です。
いじめ研究の第一人者が問う、日本の学校が染まる「全体主義」の核心
精神医学が学校の色に染め上げられた負の局面
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執筆者:azbooks