教育

課題とはいえない夏休みの宿題なんかしなくてもいい、思いっきり遊べ!

投稿日:2017年8月1日 更新日:

夏休みの宿題、子どもがどっさり持って帰ってますよね。
見るだけでやる気は失せてしまう。
そんな意味のない宿題なんですが、「あと何日でやらせなければならない」って、日を追うごとにどんどん不安が増してきている「親」はいませんか?
勉強するしないは、個人の問題です。親の課題ではなく、子どもの課題です。
課題といっても、別に夏休みの宿題なんか克服しなくてもいいので、課題とはいえません。
こどもがやりたいと思えばやればいいし、やりたくなければやらなくてもいい。ただそれだけのもんです。
こちらに「子どもに夏休みの宿題をやらせなくていい理由」も書いています。
子どもが「やりたい」と思えるような宿題の出し方ができなかったのは、学校の責任です。子どもには責任はありません。
宿題によって最も失われるものが、自由な時間です。
宿題によって子どもが自由な時間に好きなことをして遊ぶことが犠牲になる。
チョーもったいないです。
子どもにとって最も大切なものは自由な時間です。
日本の夏休みは宿題だけでなく、あれやこれやといろんな行事が盛り込まれています。
なんで、夏休みまで時間を拘束されなくてはならないのでしょうか?
学校や宿題にかかわる時間が長くなれば長くなるほど勉強が嫌いになっていく。行事への参加もたいぎくなっていく。
中には親子喧嘩まで始まる家庭も出てきて、子どもも親も不機嫌になり、家庭内の人間関係まで壊れる。
だから、宿題なんかするよりも、好きなことをして遊んだほうがよっぽど子どものためになります。
親だって、子どもが元気に遊んでいる姿を見たほうが嬉しいです。
やたらと宿題を出して親に管理させるなんて失礼だよね。日本の宿題の多さについて考えてみる
「夏休みは宿題なんかしないで思いっきり好きなことをやろう!」と書いたばかりですが、こんなキャンペーンがあったって知らなかった。
多分、みんな知らないでしょう。
平成21年度から始まったようですが、9年間でどのような効果や成果があったのでしょうか?
・授業にぐっと集中するためには?
・毎日じっくり家庭学習するためには?
・具体的に何が必要なのか?
・そもそも、なんで勉強しなければならないのか?
こんなキャンペーンなんかやったって、全く意味がないのですが、これまでにその検証はされているのでしょうか?
多分そんなことしてないでしょう。
その反対に「夏休みは宿題なんかしないで思いっきり遊ぼうキャンペーン」をしたらいい。
そしたら、子どもはもっと生き生きと主体的になりますよ。
そして、親はもっと楽になりますよ。
鳥取県教委 勉強がんばろうキャンペーン(PDF)
「勉強がんばろうキャンペーン」推進事業

夏休みの宿題なんかしなくてもいい理由(再び)

「夏休みの自由研究にピッタリ!」
「読書感想文はこれでバッチリ!」
「すぐにできるおすすめ工作キット」
あっちもこっちもいちいちうるさいなあ!
なんでそうまでして宿題をやらせたいかなあ。なんでやり方まで指図されないといけないかなあ。
なんでいちいち形にしなければならないかなあ。
夏休みに限らず子どもにとって一番大切なことは、今自分がやりたいことを思いっきり楽しむこと。めいっぱい遊びまくることです。
子ども自身が体験したという事実が残ればそれだけで十分。何かやったらそれで完結。
いちいち感想文や絵日記なんか書かなくてもいい。まとめる必要もない。感想文やまとめをしたら楽しい思い出がぶっ飛んでしまう。書かなきゃいけなくなることで楽しい思い出が辛い思い出に変わってしまう。
例えば本の読み聞かせなんかで子どもに感想を言わせる人がいますが、あれも間違い。子どもが聞いたお話も感動も感想を言わせる一瞬で消えてしまう。だから、やりっ放しが一番いい。
それが子どもの主体性を伸ばすたったひとつの方法です。
やらされ感満載の苦痛でしかない宿題をして苦しんでいる子どもの表情と自分の好きなことを思いっきり楽しんでいる姿を見るのとどっちがいいですか?
そして、そのどちらが子どもの主体性を伸ばすのか?
というシンプルな話です。
ウソだと思ったら夏休み中遊びまくったらいい、やりっ放しにしたらいいです。そうしたら9月の初めには子どもは何倍も成長しているから。

最も大切なことは一人ひとりの「自由の保障」

人として生きるために必要なことって何だろうって考えます。
他者に気に入れられるため、他者の評価のために自分を生きるのか?
みんなで「普通」という評価基準、平均点をつくり上げ、人間を序列化し、差別している学校と社会。
多くの人は子どもたちに一方的に宿題を与え、それを教員が評価することを「教育」だと思い込んでいるような気がします。
最も大切なことは一人ひとりの「自由の保障」なんだと思います。
それを阻害しているもののひとつが学校の宿題です。
思いつきで動き、今楽しいからやってみる。結果や評価など関係ない。やりっぱなしでOK。
そんな過ごし方に価値があるのだと思います。
教員時代の学級通信夏休み号には、こんなことを書いていました。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

日本の教育の「皆同じでなければ」への違和感を感じています

子どもたちが興味のある話題から入るからこそ、主体的な学びにつながる。 先生も、さまざまな方向に導いていく問いかけが非常にうまい。 決められたことをこなす画一的、一方的な日本の学校とは大違いです。 日本 …

漢字は細かい違いで正しいとか間違っているとか判断すべきではない

国語の専門家が集まる文化庁の文化審議会国語分科会が、漢字の手書き文字について、目安となる指針をまとめました。 漢字の書き方は「細かい違いで正しいとか間違っているとか、判断すべきではない」としています。 …

大阪府の支援学校教員が知的障害者に数々の暴言の衝撃と学校の課題

「支援学校教員が・・・」に衝撃を感じた人もあると思いますが、決して支援学校教員が特別な教員なのではありません。 この件も保護者が表面化しなければ、誰にも知られないままだったでしょう。 学校側は事実関係 …

鳥取県特別な支援を必要とする子どもたちの教育・福祉等に関する意見交換会

昨年度までは「特別な支援を必要とする子どもたちの明日を語る会」が東中西部の3地区で年1回開催されていました。 それが、今年度からは「希望者との意見交換会」に変わりました。 要するに、希望者のみとの意見 …

なんのために学校へ行ってるのか?

学校とは第一に、勉強をするところです。 しかも、やらされている勉強ではなくやりたい勉強をすること やりたい勉強をしたいと思えば、基礎的な勉強が大事なことも分かります。 やりたいことを課題解決するために …

スポンサーリンク

スポンサーリンク