みなさんは、人を上下関係や優劣で評価していませんか?
学校や職場、地域の中で意識するしないに関わらず、そんな考え方が多数を占めているのではないでしょうか。
「社会的弱者」が不当な差別を受けて不利益を被っているのが現実の社会です。「社会的弱者」という言葉自体が競争社会の中での優劣による評価そのものです。
それをなくしていくためには、競い合いから助け合いの社会へ、敵視、排除から共感・共生の社会への転換が絶対に必要です。
それには社会の枠組みを変えるだけではなく、お互いの違いを認め、個を尊重する考え方が基本になければなりません。
お互いの違いを認めるとはその人の「全て」を受け止めること、個を尊重するとは「そのままの姿」を大切にすることです。
お互いがそんな関係性を作ることができれば、共感・共生の社会が実現できます。
それを福祉行政や福祉教育に求めることも必要ですが、同時に一人ひとりの考え方や行動を振り返ってみることも重要です。
4月から施行された障害者差別解消法で、「障害者」の社会参加を妨げている「社会的障壁」を除去するための「合理的配慮」に取り組んでいくことが義務づけられました。しかし、依然として「障害者」に対する無理解と無関心状態が続いています。
「社会的障壁」を除去していけるかどうかは私たち一人ひとりの行動にかかっています。
これって本当は、法律があるないなんて関係ないことなんです。
社会を作っているのは個々のつながりですから、個々の考え方や行動を変えることできなければ社会的な障壁をなくすこともできません。
社会的な障壁が無くなれば「障害者」は障害者ではなくなるのです。
このような事件が起きるたびに繰り返して言われることが「なぜ予防できなかったのか?」「警備体制はどうだったのか?」「安全対策はできていたのか?」という「その場限り」の議論です。
今回もまた、鳥取県の社会福祉施設関係者の緊急会議でも「想定外」という言葉が使われています。
「想定外」という言葉は関係者の「責任逃れ」とも受け取れます。
現場は現場で対策に限界を感じながらも努力をしているとは思いますが、社会的な課題はそのまま放置したままでの評論家や専門家の話は本質をとらえていません。
このようなことを二度と起こさないためにできることは、「障害」のあるなしに関わらず、「誰にとっても優しい社会作り」です。
それは誰かに作ってもらうのではなく、私たち一人ひとりが日常の暮らしの中で作っていく社会です。
一人ひとりの周りにある心の社会的障壁を取り除いて、お互いが尊重し合える社会を作っていくしかありません。
そのためには、様々な課題を関係者間の丁寧な対話によって解決していかなければなりません。
人の存在そのものに価値がある、誰もが誰かのためになっている。すべての人に今生きている理由があります。
これまで「障害がある」というだけで排除や隔離をしてきた私たちの考え方を改め、キャッチフレーズだけに終わらない「人を大切にする」という日々の行動が問われています。
一人ひとりの心の社会的障壁を取り除いて、お互いが尊重し合える社会を
投稿日:
執筆者:azbooks