まじめな、教育熱心な熱い先生が苦しんでいます。
・「自分だったらどうするか、と考えると、、、自信がない、、。」
これも「助けて!」という声です。
・
課題を解決するためには、自己を振り返り、反省することからはじまります。
それならそれで、何をすればいいのか考えてください。
自分には何ができるか考えて、行動に移してください。
・子どもたちの中には、誰にも相談できないで毎日苦しみながら学校に行っている子もいます。
そんな子どもたちに、自分は何ができるか考え抜いてください。
一人でできなかったら、誰かに相談してください。
その一人が、ファティマさんではないでしょうか。
・こうやっていろいろな人が考えれば知恵も集り、解決方法を見つけることもできます。
そして、それをきちんと実行していかないかぎり何も変わりません。
このまま放置していては、状況は悪化する一方です。
・勇気をもって
「助けて!」
「何ができるか教えてください。」
といってほしいと思います。
ファティマさんの気持ち、よくわかります。
ファティマさんが一生懸命になればなるほど、先生方との気持ちがかけ離れていく感じなのでしょう。
私もいろいろな方から相談を受けていますが、保護者と学校との間に深い溝があると痛感しています。
いじめ問題についても、学校現場の教職員の意識を変える必要があります。
子どもが何人も自殺しているんです!
にも関わらず、こんな対応しかできないのは、どう考えても変ですよ。
見逃すことなんか、絶対にできませんよ!!
学校現場でどこを向いてやっているかというと、それは目の前の子どもではないんです。
上からの評価が常に気になって仕事(これは仕事ではなく命令でやっている作業です)をしています。
口では「子どものために」と言って、命令に背くことはできないのでいろいろなことを子どもたちに強制しています。
新しいことをしようとしても、前例がないとか前からやっていることだから変える必要はないとか、根拠のない言い訳で何も変えようとしません。
「みんなが違っていいんだ」
「違いを認め合うことが大切だ」
「自分の意見は、みんなの前できちんと言おう」
と言っておきながら、人と違うことをすることを自ら止めているんです。
だから、現場で違うことをはじめること、集団からはみ出すこと、自己主張するのはとても勇気のいることなんです。
まさに「いじめの構造」と同じなんです。
情熱のある教員も次第にそれに流されていき、自分の立場を守ることだけを考えるようになる。
そして、おかしいと感じながらも無難な方向にしか向かっていかないのが、今の教育現場です。
自分の保身のために大事なものを犠牲にしています。
中には親身になってくれる先生もいますが、上からはかなり批判的に見られて、かなりプレッシャーを感じている人もいます。
この現状を打破していかなければ、本当の教育などできません。
しかし、このままでは内部から変えることは不可能だっといい切れます。
それを変えることができるのは、保護者とファティマさんのような外部の人間です。
もちろん、親には親の責任がありますから、親としてできることはしっかりやっていく必要があります。
学校は学校で無理難題を押し付けられて、身動きがとれない状態にもなっていますので、先生方への援助も必要です。
そのためには、人的な配置や地域の人たちの応援もいります。
いじめ問題についても、「学校で起こっているのだから学校でなんとかしろ!」といって学校だけに任せることも無理なんです。
そのために、いろいろな場が設定されているのですが、会議のための会議に終わっていて形骸化していることも問題です。
ただ関係者が歩み寄るのではなく、「本当に大切なことは何か」の1点に集中して一致点を見つけ、それぞれの立場で本気でやっていかなければなりません。
その「こじれ」を修復するためにもファティマさんの役割が重要だと思います。
私は両者の立場を経験していますので、その役割を果たしたいと思って行動しています。
あとは、学校以外の子どもの「居場所」を確保していくことが急務です。
これだけ不登校の子どもが悲鳴をあげて訴えているのですから、環境を整えていくことも大人ができることです。
こうやって発信していくことで、勇気を持てる人が増えていくと思います。
しかし、その一方でこのような発言を否定的に見たり排除したりすることもありえますから、覚悟がいります。
その中で一人だけで向かっていくには、すごい勇気とエネルギーもいりますが、連帯できる人たちでつながって、これからも子どもたちのために頑張っていきましょう。
いじめ対応をこのまま放置していては、状況は悪化する一方
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執筆者:azbooks