この事件を他人事として見ていてはいけません。
このような学校という組織の実態を知った者が行動を起こしていかなければなりません。
世間体や学校信仰にとらわれていては、このような事件は何度でも繰り返されることになります。
内申点という「脅迫」で縛られている子どもたちを解放していくために、私たちのできることはたくさんあります。
担任は、男子生徒と廊下で数分間の進路指導をしただけ。
担任は、体調を崩して保護者説明会に続いて集会も欠席している。
これだけで、「進路指導になっていない!」「担任はなんてけしからん人だ!」という声が出るのも分かります。
報道された内容によると、担任の配慮が不十分であったり、その対応の仕方には多くの問題があることも確かなようです。
しかし、このような報道だけで判断することは考えものです。
なぜ、万引きした生徒の名前を間違えて書くという初歩的なミスを起こしたのか?
なぜ、廊下で話で済ませたのか?そういう対応しかできなかったのか?
なぜ、全校集会を開き、自殺直後に「病死」としていたのか?
なぜ、担任は保護者説明会に欠席しているのか?
それは、本人の理由、意志によるものなのか、それとも上からの命令によるものなのか?
など、この件での詳細はほとんどわかっていません。
私たちはメディアの報道のみでその内容を知り、さまざまな意見や批判をいっています。
町教委や学校には抗議の電話が鳴りやまないといいます。
中には学校への脅迫電話まであるといいます。
それだけ関心があり、他の中学校でも保護者の不信感が強いことが分かります。
しかし、担任を責めるだけで問題は解決しません。
担任に処罰を下して問題を終わらせてはいけません。
教職員の日ごろ感じている重圧感、いろいろな問題や困難を抱える生徒たちへの対応、上からの「宿題」に追われ多忙で頭が回っていないなど、学校の教職員の日々の業務はとても過酷です。
中学校が抱える様々な問題もあるでしょう。
もちろん、忙しいからという理由で廊下で進路指導を済ませるのは論外です。
丁寧で親身な指導や対応をすべきです。
いいたいことは、これを担任の責任、学校の責任として片付けてはいけないということです。
担任の女性教師にすべての責任を押し付けて学校や町教委が責任逃れをするようなことになってはいけません。
このような対応しかできなかった責任は、中学校のすべての教職員と町教委にあるのです。
私たちの学校を取り巻くさまざまな問題、教職員にのしかかる重圧、学歴信仰による社会の差別と偏見など、すべての学校が変えていかなければならない問題が山積みのまま見過ごされています。
今回の事件は、私たちの学歴信仰がもたらしたともいえます。
中には、学校に対する無関心、諦めのようなものもあるのではないでしょうか。
「どうせ言っても聞いてくれない」という関係になっていることを知りながら、周りはなにもできていません。
今後私たちのできることは、学校のありかたを変え、地域の偏見を正していくことです。
私たち一人ひとりの中にも学校への不安や不信感がありますし、学歴信仰による学校間差別を長い間してきました。
それによって、保護者と学校との気持ちが離れ、子どもたちは狭い中での評価によって追い込まれています。
そういう様々な背景が要因となって、今回の事件が起こっているのです。
学校や町教委は事件についての丁寧な説明と、今後の取り組みについて保護者が納得できるまで何回でも会を開く必要があります。
担任や学校を批判するだけでは解決になりません。
学校制度に欠陥がある、学校に対する社会的な偏見があるためにこのようなことが繰り返されているということを知らなければなりません。
今後は「学校と教育行政そのものを変えていく」という強い姿勢で行動していかなければなりません。
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学歴信仰による差別と偏見、学校が変えていかなければならない問題が山積み
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執筆者:azbooks