この児童の精神的ショックはどれほどのものか!
「人としてなんたるか」が全く欠けている説明会です。
この件は特別な事例ではありません。
横浜、青森、新潟だけのことではありません。全国各地で発生しています。
子どもが子どもをいじめる
教員が子どもをいじめる
教育委員会が子どもをいじめる
文科省が子どもをいじめる
教員が教員をいじめる
教育委員会が教員をいじめる
文科省が教員をいじめる
そこに止める者は存在していない、気づいても皆がみな見ないふり、無関心で過ごしている。
そして、釈明会見や謝罪会見で終了。
しかも、被害者の名前は上がっても直接の加害者は顔すら出さない。
酷いときには、事実さえ認めない。
これを長年許してきた構造そのものがいじめを生む体質なんです。
私はいろいろな事例を知るたびに、教職という「特別職」であるという自覚が弱いと感じています。
人を育てる仕事なのですから、自らの規範意識を強く持って、何事にも堂々と向かっていく勇気と責任を求めます。
しかし現実は・・・
ただ、厳しくあれというわけではなく、自らの弱さも自覚して人間らしくあってほしいという願いもありますね。
確かに、長いものに巻かれて他人の顔色伺いがうまいというのが出世の条件です。
自己主張する者は排除されるのが日本の社会です。
なので、悲しいかな私のような者はその世界では存在すら認められません。
まあ、自分は自分なので他人の評価なんてどうでもいいんですけどね。
担任「○○菌発言」の小学校で説明会、担任は欠席
自分だけ逃げるな!
といいたいですね。
長いものに巻かれてきた構造そのものがいじめを生む体質なんです
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執筆者:azbooks