この校長の考え、なんか違うわ。
「死ぬくらいなら」学校に行かなくていいんじゃないよ。学校がいやならいつでも休んでいいよってこと。いやなところに無理して行く必要はないってこと。自分の学びたいことを学びたいところで学べばいい。ただそれだけのことです。
そもそもこの人「学ぶとは?」が分かっていません。学ぶとは「学校で勉強して良い大学に入って、良い所に就職する。」ことが目的ではありません。それを前提に考えを進めていく必要があります。
「それが成長モデルとして確立されて、今の社会を作ってきました。そして今も、なんだかんだエリートたちが社会を動かしている。」はあ?
社会を動かしているのはエリート?
そもそも「エリート」という概念がおかしいです。
という考えを多くの人たちが持っていると思いますが、その考えが間違いです。
多くの人たちが学校教育を受けていて、その人たちが社会を構成していて、社会の価値観をつくっています。多くは学校宗教、学校新興の信者です。
だから、学校を変えたら社会の価値観も変わります。
「学校の常識は社会の非常識」といわれますが、その「非常識」な学校の常識で社会が作られているともいえます。
そして、学校は学校単独で変えることも可能です。学びの本質を求める学校創りも可能です。「うちはこんな学校をめざす」と校長ほか教職員が決めて実行したらめっちゃ面白い学校が創れます。
その学校で学んだ子どもたちはめっちゃ楽しい社会を創りますよ。
「学校」がしんどいのを社会のせいにするのではなく、学校がしんどい場じゃないところにしたらいいんです。
私は子どもたちとめっちゃ楽しい学びの場でめっちゃ面白いことをして、めっちゃ楽しい社会を創りますよ。
学校が変われば社会を変えることにつながる
この校長さんのことは私はまったく知りませんので、このほんの一部の記事を読んで思ったことで私の「読解力」がないのかもしれませんが、「この文章」からは「社会が変わらないと学校は変わらない」という考えだと受け止めました。また、学力の定義や社会のつくりを断定しているように感じ、いちいち触れませんがひとつひとつの言葉に引っ掛かる部分もあります。
この校長さんが「具体的に学校をどう変えていくのか」という記述もあったらまた違った受け止め方もできたかもしれません。
この人を否定しているのではなく、「私はこう思う」という書き方をしたつもりです。私は「社会が変わらなくても学校が変われば社会を変えることにつながる」と考えています。もちろん両者は平行して変えていく必要があるのは言うまでもありません。
機会があれば直接話がしてみたいですね。
こうやってみんなが考える機会になればいいと思います。
「本当に学校は必要ないの?」不登校経験者に向き合う校長の問い(西成高校の山田勝治校長)